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 十月(神無月)の禅語


清風万里秋(せいふうばんりのあき)
清風が吹き渡りあたり一面が秋景色のこと。

風光日々新(ふうこうひびあらた)
大自然の風景は、日々に新たな変化があるという意味。

明月上孤峰(めいげつこほうにのぼる)
ぽつねんとそびえる峰明月が上っている。明月皎々として寂蓼たる光景の意味。

山高月上遅(やまたかくしてつきののぼることおそし)
山が高いと月が出るのも遅いが高い山に出た月はすでに皎々とかがやいている事も見落とせないという意味。

一粒万々倍(いちりゅうまんまんばい)
一粒の茶のたねは、人々の丹精によって増えに増えつづけて今日にいたっているという意味。

紅葉舞秋風(こうようしゅうふうにまう)
散りそめた紅葉が秋風に舞っている様子で、晩秋の寒々とした光景。

吾心似秋月(わがこころしゅうげつににたり)
わたしの心は秋の月に似ている。澄み切った悟りの境地を詩の中に託したもの。

水急不流月(みずきゅうなるにつきをながさず)
急流に映る月影はもちろん揺れてはいるけれど流れ去ることはない。あわただしい日常にありながら、変わらぬ真理の姿をあらわしたもの。

壺中日月長(こちゅうにちげつながし)
茶道で狭い室内を時空を越えた仙境とし、思う存分異次元
体験する場所に見立てる。

月印水水印月(つきみずにいんし、みずつきにいんす)
月と水とが和して相照らす景はそのまま「和敬清寂」の具現。天と地の大きな違い、差別を提示しながら、その天と地・水月の和。

        
今月の行事・神無月
名月


八月十五夜の月であり、仲秋の満月である。中国では中秋節として祝うが、日本でも名月を祝う行事は全国に行きわたっている。だが、中国の行事と誌歌が輸入される前に、日本人は信仰的な意味から、この日の月を大事にした。

風炉名残    

名残には二つの意味がある。一つは去年の口切から使い続けて茶壷の茶も残り少なくなって、いま一度か二度、あるいは今日限りに底をついてしまうであろうことに名残を惜しむ心。今一つは、慣れ馴染んで来た風炉とも、この月を限りにまた半年の別れとなる。その風炉への愛着の心と秋を惜しむ心も重なる。


中置    

風炉の位置が、畳の中心にくるので、水指の座が狭まる。それで、客に火を近づけ、水を遠ざける心で、水指は風炉の勝手付の方を選ぶことになり、常据えにしては窮屈を感じるので、運びとする。しかも、その座が狭いから、胴回りの細い、いわゆる細水指が採用される。


後の月(十三夜・二夜の月・豆名月)   

八月十五夜の名月に対して、陰歴九月十三夜を後の月といってことに文人墨客が愛した。その初めは村上天皇の天歴七年の月見の御宴があたかも朱雀先帝の回忌に当てられたので、一か月遅らせて九月十三夜行なわせられたに始まる。豆名月・栗名月などともいわれる。



名月や池をめぐりて夜もすがら      芭蕉

名月や兎のわたる諏訪の湖        蕪村

名月を取てくれろと泣く子かな       一茶  

 
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮      定家    

淋しさやその色としもなかりけり槇立つ山の秋の夕暮      寂蓮

心なき身にも哀れは知らりけり鴫立つ沢の秋の夕暮       西行

秋の暮客か亭主か中柱                             芭蕉

秋の夜を書よみ居れば離れ家に茶を挽く音のかそかに聞ゆ     子規

しかぞすむ茶師は旅寝の十三夜                                其角

 
秋の雨隣はお茶の夜会かな                                馬曹

砧打つ宿の庭子や茶の給仕                               其角


達磨忌 10月5日


達磨大師は、中国北魏・梁代頃に、インドから来た渡来僧と伝えられ、お釈迦様から数えて28代目のお祖師さま、中国禅宗の初祖とされるお方で、円覚大師菩提達磨大和尚と称します。

「碧眼の胡僧(青い目の異国の僧)」とも表現されますが、伝記に関しては諸説ございます。禅宗の伝統的な見解では、梁の普通8年(527年)に南海より広州(広東省)に上陸し、梁の都、建康(南京)に来て、武帝(蕭衍)と問答を交わし、帝との機縁がかなわず北に渡り、嵩山少林寺に入って、面壁九年(九年間、壁に面して坐禅すること)されたことから、「壁観婆羅門」と称されました。

なお、梁の武帝と達磨大師との間で交わされたとされる問答は以下の様に伝えられています。

如何なるか是れ聖諦第一義。(仏法の根本義はと何でしょうか?)

磨云く、廓然無聖。(カラリとして、聖なるものなど何もない。)

帝云く、朕に対する者は誰そ。(一体、私の前にいるあなたは誰なのでしょうか?)

磨云く、不識。(そんな事は知らない。)